数字にとてつもなくだらしない学生A

何を隠そう、私たかはCは数字に弱いことで家族には有名な男です。。小学校の算数に始まり、中学から始まった数学、高校に進んでさらに奥深くなる数学に対して、常に逃げの姿勢で挑んできました。テスト勉強はおろか、宿題や課題などの持ち帰り事案もあらゆる手を使って実力発揮を拒んできたという実績があります。

母親が自称、数学得意という発言と、「あんたはやらないだけでやればできる」という甘言に惑わされ、教わってみたところ20分ほどで知恵熱(誤用)を発症するほどに、数学アレルギーの粋を極めていました。その結果、高校2年に進学するときのコース選択で、普通科(文系数学なし)を迷い無く逆指名、勝利を確実に自分のものとします。世界史・古文・現代国語等の文系科目にはめっぽう強かっただけに、これが生まれ持っての能力で、数学という高尚な分野には触れることが許されないのだと確信したときでもあります。文系科目が低俗であると主張したいわけではありません。あくまでもたかはCの脳みそが、数字を流し込むとパンクするということです。そんなたかはCが後に、高校の評定平均4.5以上を叩き出すモンスター(たかはC調べ)になったことは言うまでもありません。それほどに、評価項目に数学が無いことは天敵が居ないことと同義だったわけです。科学教科は一夜漬けでなんとかしていましたし、ヤマを当てることは多少得意だったためです。

このような姑息な手段で指定校推薦を勝ち取ったたかはCは、とある北海道の大学へ進学します。そこでは、必修科目として簿記の専攻が義務付けられることになるのですが、当時の入学が決まったたかはCは浮かれに浮かれて、まぁなんとかなるだろうなどと安易に考えているのでした。入学後に苦しめられることを知らず、10代のバカ造がぬくぬくと過ごしていたわけです。まぁ、クソガキでしたから、夏休みの宿題のごとく、後で困るくらいなら今を楽に過ごしていました。


バカ造よ成長せよ+1 !

関連キーワード

関連ページ

数字にとてつもなくだらしない学生A
何を隠そう、私たかはCは数字に弱いことで家族には有名な男です。。小学校の算数に始まり、中学から始まった数学、高校に進んでさらに奥深くなる数学に対して、常に逃げの姿勢で挑んできました。テスト勉強はおろか、宿題や課題などの持ち帰り事案もあらゆる手を使って実力発揮を拒んできたという実績があります。母親が自称、数学得意という発言と、「あんたはやらないだけでやればできる」という甘言に惑わされ、教わってみたと
必修科目=天敵=数字=簿記
進学先を決めた理由としては、漠然と「パソコンの勉強がしたいから」でした。当時はこれでも、革新的なセリフだったんですよね。今でこそ、一家に一台あって当たり前のツールになりましたが、僕が高校生のときなどはタッチタイピングが出来るだけで歓声が上がるほど、浸透していないものでした。小学生時分から何故か、パソコンが自宅にあった(とはいえ、裕福だったわけでもなく、何故あったのかいまだに謎)ので、インターネット
救済講義ネゴシエーション
必修単位を取り損ねた僕は、それはもう努力の日々でした。救済講義は、僕と同じような学生に向けた、更に更にレベルを落としたもので、こういってはなんですがアホを体言したような若者たちが多数そろっていました(たかはC含む)。早寝早起きを不得意とする僕が、朝9時からの講義開始を難なく受け入れられたのは、レベルをそぎ落とした基礎の基礎の基礎のような講義と、進級できないこと以上の恐怖が無かったという二つが合わさ